行った講演会の内容を全部ブログとかFacebookに書いちゃう人って、誰のために書いてるんだろうか。
いろんなところで見かけて、いつも気になる。
行った講演会や、占いの結果なんかもそうだけど、
聞いた話、自分が言われたこと、
全部書いちゃう人。
純粋な自分の覚書だったら、
誰にも見えないところに書けばいい。
そうじゃないとしたら、
誰のために書いてるんだろうか??
例えば、講演会でしゃべった人の応援がしたくて書いたんだったとしたら、
それを聞いて自分がどう感じたかを書く必要がある。
自分の記事を読んだ人が、その人の講演会に次は行ってみよう!って、
思うように書かないといかんと思う。
聞いた話を全部書いてしまったら??
果たして、行きたいと思うんだろうか。
全部1から10まで詳細にわたって書いてあったら、
それで事足りて行かない人もいるんじゃないかな。
本当は、そのスピーカー本人から聞くことに意味があって、
スピーカーの空気を感じることに意味があるんだけど、
それがわからない人は、
「内容わかったから、もういっか」になっちゃう人もおる。
それってね、読んだ人の人生のチャンスも奪ってしまうのよね。
あるいは、自分のブログの読者のために書いたんだったとしたら、
本当に読者のためになるのは、
内容をシェアすることではなく、リアルに足を運ぶように働きかけること。
だって、又聞きって、クオリティ下がるじゃん。
内容のシェアだけだったら、
スピーカーの書いてる本を読ませたほうがよっぽどいい。
こないだ、デュークさんが言ってた。
「人の話は、『聞く』んじゃない、『覚える』んだ」
「覚えきれないから、『書く』んだよ」
なるほどーって思った。
でも、聞いて覚えたことが、自分の血肉となるためには、
実践しないといかん。
実践して、初めて自分のものになって、
自分のものになって初めて、人に伝わるものになるって、
私は思ってる。
そこ、わかってて内容をシェアするのと、
わかってなくてシェアするのと、全然意味が変わってくるなと思う。
あとね、全然別物だけど、
プロポーズの言葉とか、彼氏からの手紙とか、
彼氏にしてもらったこととか、
そのまま写真や事細かなエピソードを、載せちゃう人。
相手は掲載を許可してるのか、とても気になる。
私だったら、相手にそれやられたらキレる。
だって、その人に個人的に伝えたいコトなわけで、
全世界へ発信したいコトではないからね。
「彼氏はFacebookやってないから」とか言っちゃう人いるけど、
そーゆー問題ではない。
きっと、「私、愛されて幸せなんです♡」って、
世の中にPRしたいんだと思うけど、
それを自慢したいならば、手紙の中身載せちゃうよりも、
手紙をもらったことがどれだけ嬉しいかとか、
それを読んでどう感じたかを書いた方が、
周りは「いいな」って思うと思う。
あれだよ、あれ。
チラ見せ効果。
中身がわからないから気になるっていうヤツ。
あれ、うまく使えるといいね。
ビジネスも恋愛も。